武器がいる。
 そうハルナは思った。
 もちろん武器といっても、スカートめくりのための武器だ。
 これまで彼女が撃破してきた相手は、運動が得意でなかったり、傷ついていたり、油断していたりしたクラスメートたちだ。
 だが、人数がどんどん減ってきているため、この先強敵と出会う確率が高まっている。
 特に、楓や超を倒した誰かはかなり脅威だ。
 いつもいつも不意をつけるとは限らない。そしてハルナ自身は運動は得意な方ではない。
 1メートル定規は悪くない道具だが、もっともっと間合いが長く、使い勝手のいいものを手に入れたかった。
 そういうこともあって、ハルナは積極的に狩るよりも、しばらく身をひそめている方がいいかもしれないと思い始めたところだった。
 ところが、偶然はしばしば皮肉な形で訪れる。
 夜、どこか隠れ場所にいい場所はないだろうかと林の奥をさまよっていると、バサリという枝が大きく揺れる音がした。
 ハルナは慌ててその場にしゃがみ、丈の高い草むらに身を隠す。
 慎重に音がした方を見ると、人影が木の上から降りてくるところだった。
 夜の闇にまぎれ、いったい誰だかわからなかったが、そのクラスメートはずんずんハルナの方に近づいてくる。
「アイヤ〜、意外と食べられる木の実ってないものアル」
 何気なく呟いた独り言でわかった。出席番号12番の古菲だ。
 古はハルナが隠れている場所の、ほんの数メートル前を通り過ぎる。まっすぐ前を見て、気楽な歩調。まるで警戒していない様子だった。
 これなら、いけるか? とハルナは一瞬思った。
 しかし古の運動能力はクラスでもトップレベル。果たして文化部のハルナが太刀打ちできるだろうか?
 どうしようかとそう思った時、ハルナの視線が古の右手に吸い寄せられた。
 暗くて近くにくるまでわからなかったが、古は右手に50センチほどの警棒を持っている。
 ハルナは、その警棒に見覚えがあった。同人仲間が剣士キャラのコスプレをするというので購入したものを、見せてもらったことがある。
 普段は50センチ程度の長さだが、握りについているボタンを押すと、一瞬で3倍の長さに伸長するという代物だ。バネがかなり強力で、驚いた記憶がハルナにはある。
 長さもさることながら、不意打ち効果が高く、スカートめくりにぴったりの道具といえよう。彼女の決意は固まった。
 ハルナは音をたてないよう、そっと立ち上がると、足音を殺して古の背後に近づいた。
 あと数歩でスカートがめくれるという距離に近づいた途端。
「誰アルか!」
 突然、古が振り向いた。
 右手の警棒が一瞬で伸長し、ハルナの鼻先につきつけられる。
「ひあっ……!」
「ハルナ! しかもその定規……さては私のスカートをめくろうとしてたアルネ!」
 あっという間に形成逆転となった上に意図まで正確に知られてしまったが、ハルナはあきらめたり自暴自棄になったりする気はなかった。
 同人の締め切り間際にも匹敵する必死さで頭を回転させ、言い訳を考える。
「待ってくーちゃん! 私、くーちゃんのスカートをめくろうなんて考えてないわよ」
「信じられないアル。私の背後にこっそり忍び寄ったのが証拠アルよ」
 古の口調はかなり剣呑だが、すぐにスカートをめくろうとはしてこない。
「それは……もしくーちゃんがこのゲームに乗っていたらと思うと怖くて……」
「それなら、そのまま隠れていればよかったアル」
「でも私、とても寂しかったの」
 ハルナは胸の前で手をくみ、悲しげな表情で下を向いた。ハルナ自身、自分のキャラじゃないと思う。こういうのは本来は、のどかの担当だ。しかしそれでもやるしかない。
「放送、聞いたでしょ? 夕映もハルナも合流する前にゲームオーバーだもの。私、誰かと一緒にいたくて、でも声をかけた相手がゲームに積極的だったらって考えると……私、頭がこんがらがっちゃって、だからあんな行動をとっちゃったの」
「……」
 古の表情は以前厳しいままであるが、ハルナの言っていることが本当かどうか、判断がつきかねるといった様子だった。ぶっちゃけて言えば、バカイエローの思考能力に余る状況だったのである。
 と、横手から声がかかった。
 信じてあげましょう、くーさん……。
 ハルナも古も、はっとして声の方に振り向いた。
 こんな独特なしゃべり方をするのはクラスでも……いや学園中探しても一人しかいない。
 出席番号30番、四葉五月だ。
 星明かりの僅かな光のせいで見えづらいが、ハルナが声の方に目を懲らしてみれば、五月の丸っこい姿が見える。
 相手を信じられなかったら……このゲームは結局負けです。
「でも……」
 それに、相談して仲間を増やそうという結論になったじゃないですか……。
「……」
 古は押し黙ったが、薄明かりで微かにうかがえるその表情は、納得していない。
 ハルナはいかにも不安げな、可憐な表情を装って五月の同情を引こうとする一方、頭の中では猛烈に計算を繰り返していた。
 そして、一つの提案をする。
「それなら、信用できるまで私を交代で見張ってくれていいわ。なんなら腕とかを縛っても……」
 縛るなんて、そんなことする必要ないですよ……。
 五月は慌てたように言った。次いで古の方を見て、諭すように語りかける。
 ここまで言ってるんですよ、くーさん……どうか考えなおして。
 古はなおもハルナを睨みつけて黙っていたが、やがて口を開いた。
「縛るのよすとしても……本当に信用できるまでは、交代で見張ることにするアル。こればっかりは譲れないアル」
 少し困った顔をする五月。しかしこれ以上説得しようとして、逆に古を意固地にさせてしまうとよくないと思ったのだろう、笑顔を作って言った。
 仕方ないですね……でもなるべく早く、ハルナさんを信用してあげてくださいね。
「あ、ありがとう、くーちゃん、五月ちゃん……」
 両手を前で組んで、ほっとため息をつきながら、ハルナは頭をさげた。
 そして、2人からは見えない角度で、にやっと笑う。
 五月のようなお人好し相手なら、苦もなく出し抜けるだろう。古は異常に感覚が鋭いので難敵だが、しょせんはバカレンジャー、舌先三寸で丸めこむ隙がある。もちろん、油断はできないが……。
 ハルナは頭の中で作戦を練りながら、2人について行った。
 五月と古が拠点としている場所は、林の中のわずかに開けた場所だった。
 昼間日当たりがよかった場所は乾いていて寝るのに都合よく、近くには腰掛けるのにちょうどよい大きさ・形の岩がある。
 まずは古が眠り、五月が起きてハルナを見張ることになった。
 古は逆の順番の方がいいと最初主張したが、五月の私一人で見張りするのは大変だから、ハルナさんに手伝ってもらいたい、という言葉に、しぶしぶ納得する。
「私はぐっすり寝ていても、危険を感じたらすぐに起きられるアルから、変なことは考えない方がいいアルよ」
 わざわざそんな釘を刺してから、古は横になった。ハルナは神妙にうなずいていたが、実際、古の寝込みを襲う気はなかった。
 古が気配に敏感なのは、さっき思い知ったばかり。彼女の格闘家としての能力を侮って返り討ちにあうよりは、むしろ話術でまるめこんだ方がいい、という考えである。
 ハルナがその方策に頭をめぐらしていると、五月は三人が並んで座れそうな岩に腰掛け、ハルナを呼んだ。
 立っていては疲れるでしょう……? ここに座りませんか。
「え、でも……いいの?」
 ええ……私は、ハルナさんのこと、疑ってませんから。
 そう言うと、五月は古にもたされていた伸縮式警棒を横に置いた。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
 遠慮がちに、ハルナは五月の横に座る。
 ハルナさん、お腹空いてませんか?
「え、うん。少しは……」
 それじゃあ、これ、食べます? ありあわせの材料で作ったものですけど……
 五月はいくつかのサンドイッチを取り出した。支給されたパンに、食材を挟み込んだものだ。おそらく、民家に入って冷蔵庫から拝借したものだろう。
「ありがとう」
 ハルナは受け取ると、さっそくそのうちの一つを口にした。
「!」
 味わった途端、ハルナの目が丸くなった。物も言わず、たちまちたいらげる。次いで二つ目に手を伸ばし、無言でぱくつく。
 瞬く間にそれも食べつくし、最後の一口を飲み込んでから、ようやくハルナは言った。
「すごい……こんなおいしいサンドイッチ、食べたこと無い……!」
 先ほどから心にも無いことばかり言い続けてきたハルナだが、これはまったく嘘偽りの無い正直な感想だった。これまで支給された無味乾燥なパンばかり食べてきたから、なおさら美味しさが沁みたのだ。
 ありがとう……喜んで貰えて嬉しいです。
「五月ちゃんが屋台で働いているっていうのは知ってたけど、こんなに料理上手なんて知らなかったわ。やっぱり、将来は料理人になるの?」
 ええ、それが私の夢なんです……。
「そっかぁ。すごいなあ。私、将来のことなんて全然考えてないよ」
 ハルナさん、漫画家になるんじゃないんですか? すごく熱心だって聞きましたけど……。
「うーん、あれは……どうだろうねえ。確かにそれで食べていければ楽しいだろうけど……」
 苦笑しつつ、ハルナは自分の未来について思いを馳せた。
 高校には行く。同人は間違いなくそこでも続けるだろう。ではその先は? 大学は行くだろうか。就職といっても、まったくイメージがわかない。
 同人出身の漫画家は最近多いが、しかしそこまで自分に才能があるだろうかと自問すると、さすがのハルナも首をかしげざるを得ない。
 今が楽しければいいと思ってやってきた彼女だが、自分がどういう大人になりたいのか、少しも像を結ばないことを知ると、なんともいえない不安定な感覚が襲ってくる。
 ちらりと、彼女は五月を見た。浮き草のような自分に対して、五月のなんと確固として見えることか。
 本当のところ、ハルナはこれまで五月のことを、エクセルサーガの住吉大丸のパクリキャラとしか認識していなかったのだ。
 あまり交流のないクラスメートの意外な一面を発見したハルナは、思いがけずそのまま五月と数時間、飽きずに話しこんだ。
 やがて、交代の時間となり、古が起きて五月と代わった。
 古はさっきまで五月が座っていた場所に陣取ると、怪訝な目でハルナを見る。
「どうしたアルか。別に寝てもいいアル」
「ああ、別に眠くないのよ。やっぱり緊張してるのかな」
 ハルナの言葉は、嘘だ。正直言って、けっこう眠い。しかし眠るわけにはいかない。
 古はまだハルナを信用しきっていない。五月が眠っている間、急に気を変える可能性だってある。そういう時寝ていたら、まったく対処できなくなってしまう。
 幸い、ハルナにとって、同人の作業のおかげで徹夜は慣れている。たった一日の完徹くらい、どうということもなかった。
 それどころか、彼女はこの時間に、古をしとめるつもりなのだ。
 しばらくタイミングを見計らった後、ハルナはおずおずと口を開いた。
「あの、くーちゃん、ちょっと聞いてもらいたいことがあるんだけど」
「なにアルか?」
 この暗さで細かい表情まではわからないが、古の口調には明らかに警戒がにじんでいる。
「さっき、五月ちゃんといた時から気づいてたんだけどさ、その、そこにヘビがいるのよね」
 ハルナは、闇の向こうを指さした。
「ヘビ?」
 古はハルナが指す方向に目をこらす。古は夜目は利くほうだが、夜の闇に加えてハルナが指す辺りは草むらだ。怪しい影は見えない。
「うん。さっきすぐ近くまで来たんだけど、じっとしてたらあっちに行ったの。私も五月ちゃんも退治できそうになかったから、五月ちゃんには言わなかったんだけど……毒ヘビだったかマズイから、くーちゃんがやっつけてくれると安心できるんだけど」
「ふむ」
 一つうなずき、古は立ち上がった。ハルナも一緒についていく。
「その辺りに入っていったんだけど……」
 ハルナは腿くらいまである草むらに指を向けて言う。腰が引け、指先が若干震えていた。
 さすがに古はヘビくらい怖くもないらしく、物怖じせず一歩踏み出す。
 カシュっと勢いよく警棒を伸長させ、その先端で草むらの中を探った。藪をつついてヘビを出すという日本の慣用句そのままに、ヘビが動いたらその音を聞きつけようと耳をすましている。
 しばらく、古は地雷でも探すように辺りの草むらを伸ばした警棒で探っていたが、やがてふうっとため息をつく。
「この辺にはいないアルね。どこかへ逃げていったんだと……」
 その瞬間、古の後ろに位置していたハルナの手が動いた。
 1メートル半の長さに伸長した警棒の真ん中を、掴む。
「! なにするアルか!!」
 一喝して、古は警棒を奪われないよう握力を強めて手前に引っ張る。
 綱引きで勝ち目が無いことはわかっていたらしく、ハルナはパっと手を離す。あやうく古は後ろにバランスを崩すところだった。
「どういうつもりアルか!」
 ハルナは答えず、うっすらと笑みを浮かべてじりじりとさがっていく。
 奇妙な行動だった。
 奇襲は失敗したのだ。身体能力では雲泥の差があるのだから、古と正面から対峙しても勝ち目は無い。一目散に逃げ出せば、古も五月を一人で放っておくわけにはいかないから、そのまま振り切れる目もゼロではない。
 しかしハルナは慎重に古との距離を測っているようだった。
 いかにバカイエローといえども、何か妙だと思い、古は警棒を振るうのをやめ、ハルナの動きを観察する。
 永遠にも匹敵するほど長い数秒間。
 膠着を破ったのは、五月だった。
 ど、どうしたんですか!? やめてくださいくーさん!
 古は、ハルナへの警戒を怠らないまま声の方に視線を走らせる。
 さっきの古の大声で、眠りを覚まされたのだろう、五月が駆け寄ってくる。
「来ちゃいけないアル! やっぱりハルナは信用できな……」
 古の語尾にかぶさるように、ハルナがぐっと一歩前に足を踏み出した。
 それで、古の心理的なトリップワイヤーが作動した。
 ソフトボールの下手投げのように、ハルナのスカートをめくるべく伸縮式警棒を振るった。
 スポッという、気の抜けた音がした。
 警棒を持つ手が急に軽くなった。
 なにが起こったか理解するより先に、五月の悲鳴が響いた。
「痛っ!!」
 古は、自分の手元を見る。1メートル半以上あったはずの警棒が、50センチほどになっている。伸ばしていたのを、元に戻したのではない。
 次いで、五月の方を見る。彼女は、顔を押さえてその場にうずくまっていた。
 警棒の3分の2が遠心力で外れて吹っ飛び、それが五月の顔に直撃したのだ。
「さつ……!」
 フラッシュが光り、古はその場に倒れた。赤い刺繍で縁取られた白い下着が、あらわになったまま。
 古の一瞬の油断を見逃さずそのスカートをめくったハルナは、すぐさま方向転換、大きな胸を痛いほど揺らして全力ダッシュで五月のもとへ。
 立ち上がりつつあった五月の横を駆け抜けざま、そのスカートをめくった。
 五月の下着については、誰も望んでいないと思われるので描写しない。とにかく闇の中で閃光が発し、五月は前のめりに倒れる。
 立ち止まったハルナは、肩で息をしつつ膝に手をつく。よろりと体が傾き、慌てて木の幹に手をついて支えた。こんなに真剣に走ったことなど、体育の授業でもなかったかもしれない。
 しばらくそうして呼吸を整えたあと、ハルナは倒れた五月のところに歩み寄り、その近くに落ちていた細長いものを拾う。
 古が飛ばしてしまった、警棒の3分の2だ。古は知らなかったようだが、あの伸縮式警棒は、伸ばした状態でちょっとひねると分解できる仕組みになっている。ハルナは警棒を奪うつもりはなかったのだ。
 古が警棒を振るった時に遠心力で分解すれば、必ず古は驚くだろう。その隙を突こうという作戦だった。
 吹っ飛んだ警棒が五月に当たったのは完全に想定の範囲外だったが、これはハルナにとって幸運そのものだ。
 なにしろ、単に警棒が分解したことによる驚きなど、古の戦闘経験からすればすぐさま対応できる程度のものに過ぎないからだ。五月に警棒が当たったことで、ハルナがつけいることができるほど、大きな動揺が生まれたのである。
 ハルナは古の手から警棒の柄の部分を回収すると、組み立て、縮めてから、刀を佩くようにスカートに差す。
 そして、五月と古のバッグから必要なものをとりだして、自分のバッグに詰めた。
 立ち去る直前、ハルナは振り向き、五月に向かってつぶやく。
「五月ちゃん、あなた、ちょっと素敵だった。私、ちょっと楽しかった。このゲームが終わったら、五月ちゃんのお店に食べに行くから」

【残り13人】


 バイブ設定にして胸の谷間に入れておいたケータイが、激しく振動した。
「あん……ううんっ」
 色っぽい声をあげながら、千鶴はベッドの中で身じろぎした。
 眠そうに目を半分だけ開けて、未だ彼女の豊満な胸を小刻みに揺らしているケータイを取り出し、バイブ機能を止める。
 部屋は暗く、ケータイのバックライトの明かりで時刻を読んだ。午前4時半。
 楓を首尾よく倒したはいいが、やはり人数が半分に減ってしまったためだろうが、その後しばらく歩きまわった千鶴は、結局誰とも出会えなかった。
 暗くなってきてからは視界も利かないので、近くに民家を見つけ、睡眠をとっていたのである。
 皆の機先を制し、夜明け直前から行動を開始するつもりで、この時間に起きたのだ。
 彼女はもぞもぞとベッドから這い出すと、長い髪を整え、制服の皺をできる限り整えたあと、民家を出発した。
 ところで、那波千鶴は、距離を置いた人間関係が嫌いである。
 逆に言えば、人間関係は近ければ近いほどいいと考えている。つまりは肌と肌との触れ合い、スキンシップだ。お互いに体温を感じあえばこそ、理解しあうことができる。
 特に彼女の好きなタイプのクラスメート(1、胸の大きな女の子 2、胸の小さな女の子 3、総じて女の子)にはたびたびそれを実行するのだが、どういうわけかみんな嫌がった上に彼女を変な顔で見る。
 もっともっと、スキンシップの素晴らしさを広めなければ……。
 彼女はそんな思いで、道を歩いていた。
 角を曲がった時、向こうの物陰で、何かが動いた。
「お?」
 さっそく獲物を見つけることができ、千鶴は笑みを押さえきれない。その場にバッグを置いて、走り寄った。
 なにしろスパッツを履いているわけだから、こっちにゲームオーバーは無い。相手が誰であろうと怖くなかった。
 千鶴が近づいていくと、陰に隠れていた誰かはすっと一歩横に動き、自ら姿を現した。
 桜咲刹那(千鶴の好きなタイプ2、胸の小さな女の子)だった。
 内心舌なめずりをしつつ、千鶴は微笑みを作ってさらに近づく。
「おはよう、桜咲さん」
「おはようございます、那波さん。それ以上近づくのは……」
 刹那が警戒しているとわかった途端、千鶴は駆け出した。
 千鶴は一気に距離を詰め、刹那のスカートに手を伸ばす。
 が、もとから運動能力が段違いだ。刹那は易々とかわす。
「那波さんもですか……」
 きっと睨みつける刹那。一方那波は、避けられたことに落胆していない。もともと、文化部の自分が剣術をやっている刹那のスカートを正攻法でめくれるなどとは考えていない。
 チャンスは、楓の時と同様、相手が千鶴のスカートをめくろうとした時である。スカートをめくって気を抜いたところを、カウンターだ。
 刹那の胸はクラスの中でも特に小さい部類に入るから、たっぷり触って大きくしてあげよう。
 そんなことまで考える千鶴。
 ところが、刹那はさらに数歩、跳ねながら後退する。そして、身を翻し、とうてい千鶴では追いつけないスピードで去っていった。
「あら……? うーん、これじゃあ桜咲さんはあきらめるしかないようね……」
 てっきりみんながこの「楽しい」ゲームに積極的に参加しているものだとばかり思っていた千鶴だったが、逃げに徹されると彼女自身にはどうしようもないことを知った。
 なおも未練を残して、刹那が去った方をしばらくじっと見ている千鶴。しかしやがてあきらめ、バッグを捨てた場所へ戻っていく。はっきりとわかるくらい、肩を落としていた。
 と、彼女は気づく。
 さきほどバッグを置いた場所に、龍宮真名(千鶴が好きなタイプ1、胸の大きな女の子)が立っていた。
 千鶴が反応する暇を、真名は与えなかった。
 即座に銃を構え、照準と同時に発砲。ゴム弾は15メートルの距離を一瞬で飛来し、千鶴の足元の地面に着弾。千鶴の両足の間をくぐる形で高々とバウンドした。
 千鶴のスカートが、大きくめくれあがった。
 ばったりと、仰向けになる形で彼女は倒れる。
 もちろん、千鶴は意識を保っている。スカートはめくられたが、下着はスパッツでガードされているのだ。
 そして都合のいいことに、スカートは後ろ側がめくれた。つまり、正面に立つ真名の位置からは、スカートがめくれたのは見えても下着までは見えなかったはず。
(間違いなく龍宮さんは、私を仕留めたと思っている)
 千鶴はそう確信し、口元に笑いが浮かぶのをこらえるのに大変だった。
 背を向けて立ち去ろうとしたら、そっと後ろから近づき、スカートをめくってやろう。もし楓のように接近を気づかれたとしても、なぜ自分が睡眠針で眠らないのかわからず、混乱するはず。そこにつけこめばよい。千鶴はそう考えた。
(龍宮さんのバストは長瀬さんと1ミリ違いだったけど、1ミリじゃ計測誤差もありうるわよね。やっぱり私がしっかりと確認して、ランキングを確定させないと……)
 妙な使命感と期待に、既に充分過ぎるほど豊満な胸をさらに膨らませる千鶴。
 ところが。
 『死んだ振り』をするために目を閉じている千鶴だが、地面の振動から真名がこちらに近づいてくるのがわかる。
(……?)
 真名はすでに、倒れた千鶴の足元まで来ていた。大幅に有利な立場に立っているはずの千鶴だが、この予想外の状況に焦りが生じた。
 我慢しきれず、千鶴は薄目を開いた。
 横長の視界の中、真名はその場にしゃがみ、千鶴のスカートに手をかけていた。
「……!」
 阻止する暇もなく、真名は千鶴のスカートをめくり、中を覗き込む。
「なるほど」
 と真名はつぶやいた。
 こうなっては、『死んだ振り」をしていてもしょうがない。千鶴は目を開け、首だけ起こして尋ねる。
「な、なんでわかったのかしら」
 さしもの千鶴も、こめかみに汗を一粒浮かべて──それでも笑みは絶やさなかったが──尋ねた。
 対照的に、真名は顔色一つ変えず、短く答える。
「フラッシュが光ってない」
「あ、そうか」
 千鶴がなるほど、という顔をしたのとほぼ同時に、真名はスパッツを引き摺り下ろした。
 レースやら刺繍やらがふんだんに使われた、とても中学生向けに作られたとは思えない、黒く、大人びた、セクシーな下着があらわになった。
 フラッシュが焚かれ、千鶴はがくりと頭を地面に落とす。
 今度は『ふり』ではなかった。

【残り12人】


 明日菜は麻帆良学園の正門前にいた。
 まわりは様々に仮装した大勢の人々でにぎわい、巨大な恐竜やロボットの張りぼてが引き回されている。
 そこかしこから屋台や出店の宣伝文句が飛び交い、遠くからは音楽系部活動の演奏の音。
 空中では創作花火がきらびやかな模様を描き、その手前でスモークを曳いた5機の複葉機が、緊密な編隊を維持したまま美しいバレルロール機動を行う。
 ああ、そうか。麻帆良祭がはじまったのだ。
 明日菜はそう納得した。
 スカートめくり大会とかなんとかは、夢だったのだろう。準備に疲れて眠ってしまった自分の、これ以上無いくらいあほくさい夢。
 彼女は適当に出し物をひやかしながら、自分の教室に向かった。
 一悶着ありつつも、ネギや木乃香たちと合流する。
 その後、なんだかんだあってパトロールをすることになったのだが、よくわからない理由でネギが暴走した。
 のどかの唇を奪おうとするネギを止めようとして、なぜかその標的が自分になる。
 抵抗もかなわず、明日菜はネギにキスされた。しかも、何人ものクラスメートが見守る中で。
 それも、仮契約の時のような、唇同士を触れ合わせるだけのものではない。
 すぐさま舌をねじこまれた。
 その途端、体中の力が抜け、ネギの体を押しのけることもできなくなる。
 自分の口の中をネギのぬるぬるとした舌が満遍なく這い回り、嫌なはずなのにしびれるような快感が彼女を襲う。
 舌を伝ってとろとろと唾液が降りてきて、明日菜の口の中に溜まる。
 こくんと、飲んでしまった。
 他人のつばを飲むなんて汚い、と頭の片隅で思う一方、もうどうにもならないほどキスの虜になりつつあった。
 体は燃えるように熱くなり、下腹部から何か溶岩のように燃え盛る塊があがってきて、それが爆発する。
 全身の神経という神経が、骨も溶けるほどの快感に襲われた。
 頭の中で無数の星が乱舞し、何もかも真っ白に──
「ってうわあああああああああっ!!」
 明日菜は飛び起きた。
 飛び起きる? 私は外で……。
 混乱しながら、明日菜は回りを見回す。そこは小さな部屋で、窓から見える景色から察するに、2階だ。時刻はすでに昼である。
 そして、そばに明日菜に負けず劣らずの驚き顔をした、出席番号7番、柿崎美砂が座っていた。
「あ……柿崎? どうしたの」
 美砂は、ぷっと吹き出した。
「どうしたのって、それはこっちの台詞よ。寝返りもうたないくらいぐっすり寝てたのに、いきなり大声あげて起きるもんだからびっくりしたじゃない」
 その言葉で、明日菜は思い出した。
 真名の強襲からエヴァと美空を逃がすために、囮役を引き受けたことを。
 うまく真名が追いかけてきてくれたので、必死で走って逃げた。そこで背中から撃たれ……。
「はあ……」
 明日菜はため息をついた。そこから先が思い出せない。
 しかしそれ以上に、この馬鹿げたスカートめくり大会が夢でなかったことの方が、落胆の度合いが大きい。
 いや、衆人環視の中、ネギにディープキスされて悶死するのが現実というのも嫌だ。
「どうしたの?」
「いや、なんでもないわ。それより、私がここに運ばれてきたいきさつを知りたいんだけど……」
 美砂は一つうなずくと、説明をはじめた。
「ここ、実は海に面した灯台なんだ。それで昨日の夜遅く、見張りをしてた円が変な音を聞いてさみんなで見に行ったら、アスナが倒れてて……」
「ちょ、ちょっと待って。この灯台、柿崎の他に何人居るの?」
 美砂は、やや得意げに笑った。
「アスナを除いて、5人。私、円、桜子、風香、史伽」
「ふあ〜」
 明日菜は心底、感心した。
 誰がゲームに乗っているかわからないこのゲーム、一度疑心暗鬼になったらもうチームを組むのは絶望的に難しくなる。明日菜ですら、刹那をのぞけば仲間を二人見つけただけだというのに。
 と、明日菜は気づいた。
「あ、それってもしかして修学旅行の……」
「うん。あれでみんな気心がわかってたからね。ただ、さっちゃんを誘うことができなかったのが残念だけど……」
 ふっと美砂はうつむき、暗い表情になった。
 励まさなければと、明日菜は胸の前で拳をつくり、明るい声で言う。
「大丈夫よ、そのうち見つかるわ! 五月ちゃんなら喜んで入ってくれるはずじゃない」
 しかし、美砂は首を振った。
「アスナが寝ている間に、まだゲームオーバーの発表があってね」
 それから、美砂はメモを取り出して、次々に名前をあげた。
 古菲、那波千鶴、長谷川千雨、村上夏美、四葉五月。
 たった一晩で、5人がすでに脱落していることに、明日菜は息を飲んだ。エヴァ、美空、刹那、木乃香の4人の名が入っていなかったのが不幸中の幸いだったが。
「わかるアスナ? 今、ゲームに生き残っているうちの、半分がこの灯台に集まってるんだよ」
「うん」
 ゲームオーバーがまだ続いている──まだこのゲームにのっているクラスメートがいるのはもちろん残念だったが、これで仲間を探す手間が大幅に減ったのは喜ばしい。
「あのね、私……」
 エヴァと美空のことを話そうとして、身をのりだした途端、明日菜の体のあちこちが悲鳴をあげた。
「痛……っ!」
「ちょっと、動かない方がいいわ。なにしろ、明日菜は全身切り傷擦り傷打ち身だらけだったんだから」
 言われて明日菜は気づいたが、体のあちこちに包帯やらガーゼやらバンドエイドやらが施されている。記憶が定かではないが、崖みたいなところから落ちたと思うので、骨折が無いだけ幸運と言えるだろう。
「ま、とにかくアスナはもう少し休んでなよ。あと何時間かしたら、嫌でも起きなきゃならないんだから」
 美砂の言葉に、明日菜は眉をひそめた。
「どういう意味?」
「この灯台、ゲーム開始直後からずっと利用してたんだけど……とうとう禁止エリアの指定が入っちゃって」
 はあっと、大きくためいきをつく美砂。
「ま、そういうわけだから、大人しく寝てなさい」
「あっ、ちょ」
 美砂は有無を言わせず明日菜を押さえつけるようにベッドに横にすると、掛け布団を頭までかぶせた。
 明日菜が掛け布団を取り払った時には、すでに美砂はドアを開け、出ていくところだった。
 追いかけようと思ったが、ズキリと全身に痛みが走る。
 まあ、別に今すぐ話さなければいけないことでもないか……と、怪我のせいかいつもより消極的なことを思って、明日案は美砂のすすめ通り、眠ることにした。

 時間が前後する。
 明日菜が目を覚ます少し前、灯台の一階にある台所。
 そこでは、美砂以外の4人が集まって、昼食の用意をしていた。今日の当番は、主席番号22番の鳴滝風香と同じく23番の鳴滝史伽である。
「アスナが見つかってよかったねー。このまま、生き残りが全員見つかるといいねー」
 能天気な声で、風香がシチューをかき回しながら言った。
「……うん」
 しかし対照的に、史伽の声は明るくない。
「どしたの、史伽」
 姉に尋ねられ、史伽は一瞬、全てぶちまけようかと思った。
 明日菜が、このゲームに乗っていることを。
 彼女はゲーム開始当初、うまく美砂たちと合流できなかった。恐怖心から、校舎から出た途端走り出してしまったのだが、待っていた美砂たちは暗がりのせいで彼女を見失ってしまったのである。
 ゲーム開始からしばらくして、ほとんど偶然、美砂たちのグループに入ることができたのだ。
 そして、彼女はあてどなく島をさ迷っている間、目撃してしまったのである。
 明日菜が、エヴァと連携してまき絵のスカートをめくったところを。
 しかし……。
 ここにいる連中に、それを話してどうなるか。
 おそらく、見間違いだったんじゃないか、などと言われるに違いないし、自分もそう思いたいくらいだ。
 なんにせよ、明日菜を追い出そうとか、スカートをめくってしまえとか、そういう結論にはならないはず。
 なぜなら、一度「邪魔者は排除する」という前例を作ってしまったら、「次はもしかして私が排除されるのでは」という疑念がどうしてもわきあがってくる。チームの崩壊に直結する疑念だ。
 実のところ、この5人の結束は、それくらい微妙なバランスの上に立っている。
 普通なら、どうあがいても答えの出ない難問だが……史伽にはこの状況を解決するピッタリのプレゼントが渡されていた。
 睡眠薬。
 添付されていた説明書によれば彼女らの首輪が使用しているものと同じ、超即効性で、一度眠りにつけば揺さぶろうが水をかけようが起きない上に、ごく微量でも効果があるというもの。
 この睡眠薬の存在は、誰にも言っていなかった。
 今、風香が6つの皿にシチューをよそっている。隙を見て、これを明日菜のシチューに入れてしまえばいい。そうすれば、明日菜を仲間にしつつ、彼女の脅威を取り除くことができる。
 とそこに、美砂が入ってきた。
「アスナが起きたよー」
「よかった、このまま起きなかったらどうしようかと思ったよー」
 桜子が明るく言う。
「それじゃあ、アスナにもシチューを持っていってあげなきゃね」
 自分から言って、史伽は手近にあったシチューのよそられた皿をとる。すぐさま、手のひらに隠し持っていて睡眠薬を注ぎ込んだ。
 よし、と、人知れずうなずく史伽。
 その横から、風香がおたまを明日菜の皿の中に突っ込んでくる。
「え?」
「あ、それ、ちょっと多くよそり過ぎちゃってさー」
 史伽が止める暇もなく、風香は明日菜のシチューをおたま半分ほどとり、自分の前にあった皿に移した。
 さらに。
「えへへ、ちょっとつまみ食い……」
 悪戯っぽく笑って、風香はおたまに口をつけ、ほんの一口だけ含む。
 説明書の内容は、嘘ではなかった。
 スイッチを切ったみたいに、その場に崩れ落ちる風香。死のような沈黙が、台所に満ちた。
 美砂が、恐る恐る倒れた風香に近づき、首筋に指を触れさせる。
「ね……寝てるだけみたい……」
 しかし、その言葉はなんの効果も無い。
 誰かが、シチューの中に、妙な薬品を入れたことに変わりは無いのだ。ここにいる5人、全員にチャンスがある。
 料理を作っていたのは鳴滝姉妹。皿を出したのが円。昨日鍋を洗ったのが美砂と桜子。
 お互いに、目を見交わす。不審と猜疑の目で。
 ただ一人、史伽をのぞいて。
 今にも潰れてしまいそうなプレッシャーと罪悪感に負けて史伽は叫ぼうとした。
「ああああああ! もう耐えらんない!!」
 声が向こう側からして、史伽の喉は叫び声を飲み込んだ。
 ドサリと、桜子が倒れる。黄緑色の、けっこうきわどいパンツが丸見えになっていた。
 やったのは……円。
「円!?」
 驚く美砂のところに、円はかけより、そのスカートを掴む。
「円、やめ……!」
 言いながら、美砂も円のスカートの裾を掴んだ。
 お互い、防御するよりは相手を倒した方が確実だと思ったのだろう。その結果。
 ドサドサッ。
 ダブルノックアウトだ。
 美砂は、中学生にしては少々過激というべきか、ヒョウ柄のパンツ。
 そして円は、可愛らしいゾウさんの絵が入った白いパンツ。
 人に見られるのが仕事ともいえるチアリーダーであり、パンツなんか割と平気で見せている円が、史伽よりはやくキレたのは、このゾウさんパンツが原因だ。
 うっかり履いてきてしまったこのいかにも子どもっぽいパンツを見られるのは、ひどく恥ずかしいことだと思っていたのだろう。
 それはさておき……史伽は立ち尽くしていた。
 一体何故、こんなことになったのか。
 自分は、4人の仲間のために最良の選択をしたはずなのに。
 頭の中の血が、全て重力に引かれて足元に集まってしまったみたいだった。
 青ざめた顔をした史伽は、震える手で、おたまを手にとった。
 どんな行動をとればいいのか、もうわからない。
 最善と思えた選択肢を選んで、最悪の結果を招いてしまったのだ、もう自分の判断がまったく信用できなかった。
 だから史伽は、もう判断しなくていいようにするしかなかった。
 明日菜のシチューにおたまをつっこみ、一口分だけすくって、飲んだ。
 味付けは悪くなかったと思いながら、史伽は深い眠りに落ちた。

 明日菜が降りてきたのは、その数時間後だった。
 体力はだいぶ回復したし、体の痛みもよくなってきたので、みんなに挨拶をしようと思ったのだ。
 台所に入って、その惨状に明日菜は声を失った。
 一体何が起きたのか、皆目見当がつかない。
 この段階にきて仲間割れがあったとは思えないし、さりとて誰かが襲撃してきたなら、二階にあがって明日菜がいないか確かめようとしなかったのがおかしい。
 呆然としつつも、灯台を含む地域が禁止エリアになる時間が近づいてきて、明日菜は逃げ出すしかなかった。
 ちなみに、鳴滝姉妹は厳密にはスカートをめくられていないのだが、禁止エリア発動と同時にゲームオーバーである。

【残り7人】


 刹那は焦っていた。早朝に千鶴と会ってからすでに12時間以上が過ぎているのに、あれから誰にも会っていない。
 ゲームオーバーが増えるに従って、そして禁止エリアが増えるに従って、木乃香が狙われる確率が高まっているのだ。
 つい数分前に流れた、新たな犠牲者の発表。それによれば、今この島に残っているのは明日菜たち3人と自分をのぞけば、木乃香・真名・ハルナしかいない。
 信じたくはないことだが……おそらく真名がこのゲームに乗っている。灯台にいたあの5人をやったのも、彼女だろう。
 そう思い、刹那はぎりっと歯を食いしばった。木乃香が龍宮に狙われれば、3秒ももつまい。
 もうすぐ日が暮れてしまう。できれば完全に暗くなる前に見つけたかった。魔眼を持つ真名は、夜の方が脅威だ。
 刹那は地図と探知機を交互にみながら、短距離走のようなスピードで走り回る。
 ゲーム開始以来、島中を駆けずりまわってきた彼女だが、この程度でへたり込むほどやわな鍛え方はしていない。
 とはいえ、そろそろ心身の疲労が限界に達するのも近い……。
 その時、探知機に待望の反応があった。
 すぐさま足を止めると同時に、物陰に身を伏せる。音はもちろん、あらゆる気配を消した。
 これほど焦っていても、刹那は慎重だ。木乃香だと思って近づいたら真名だった、なんて笑い話にもならないからである。
 探知機の光点をもう一度見て、自分と、相手との相対位置を確かめたあと、刹那は少しずつ距離を詰めていった。
 10メートルまで近づいて、ようやく姿が見える位置まで来た。
 刹那は、目を見開いた。
 バッグを腹に抱えて、体育座り(なんて危険な座り方!)をしている、黒髪も麗しいその姿は──
「お嬢様!」
 刹那は立ち上がっていた。
 出席番号13番、近衛木乃香は一瞬ビクっと震え、辺りを見回した。そして刹那の姿を認め、彼女もまた思わず立ち上がる。
「せっちゃんっ!」
 バッグをその場に置き捨てて、刹那のもとに駆け寄る。刹那も走り出した。
 木乃香は、まったく減速せず、ほとんど体当たりのようにして刹那に抱きついた。
「せっちゃーんっ!」
「お嬢様、よくぞご無事で……!」
 刹那もしっかりと、木乃香の背中に両腕をまわして、力強く抱きしめる。
「ウチ、寂しかったよ、せっちゃん。ずっと一人で……」
「大丈夫です。もう大丈夫です。私がお嬢様をお守りしますから!」
 涙声になる木乃香の声に感極まりつつ、刹那は答えた。
 とそこで刹那は、自分の首筋に木乃香の熱い息がかかるのを感じて、気づいた。
 私は木乃香お嬢様と抱きしめあってる……!
 その事実に気づいて、刹那はとたんに真っ赤になった。
 大慌てで、刹那は木乃香の腕を解き、30センチほど間隔を開けた。
「し、失礼しました」
「どうしたの?」
 頭をさげる刹那に、木乃香は顔にハテナマークを浮かべて首をかしげている。
「と、とにかく、これからは一緒に行動していただけますか?」
 まだ赤みの引かない顔で言う刹那。
「うん、もちろんや。せっちゃんがいてくれれば、誰が相手でも……」
 いいかけて、木乃香ははっと息を呑んだ。
「でも……このゲームって、最後の一人が決まらないと、結局全員ゲームオーバーにされちゃうんやなかったっけ?」
 刹那はうなずく。
 このゲームのよくできている点の一つだ。チームを組めば生き残りやすいが、最後まで生き残るつもりだったら、どこかで裏切らなければならない。
 その結果疑心暗鬼になり、逆に潰しあいが加速することになる。
 しかし刹那は、力強く言った。
「大丈夫です。実は、アスナさんやエヴァンジェリンさん、それに美空さんが仲間で、みんなで一緒にこのゲーム自体を潰してしまおうという話がまとまっているんです。のろしをあげて合図をすれば、アスナさんたちからも合図を送ってくれる手はずです」
 木乃香の表情が、ぱっと輝いた。
「それなら安心やね!」
 おそらく、京都の事件を思い出しているのだろう。木乃香の顔には、陰りの破片すらない。
 刹那もそんな木乃香を微笑んで見つめていたが、ふとその表情が強張る。
「……不覚」
 小さくつぶやいた。
「え?」
「お嬢様、私のうしろに」
 刹那は木乃香を自らの背中にかばうと、大声で言った。
「隠れても無駄だ!」
 よく通る刹那の声が、辺りに響き渡った。
 数秒間のしんとした静寂。
 ガサリと、草むらから影が立ち上がった。
 ハルナだ。
 警棒を、縮めた状態で右手に持っている。
「刹那さん、私……」
 不安さを交えた笑顔で駆け寄ろうとするハルナを、刹那は一喝した。
「止まって!!」
 ハルナの体が、凍りつく。
 刹那は、静かに言った。
「ハルナさんがゲームに乗っているのは知っています。私はハルナさんが古菲や四葉さんと一緒にいるところを見ました。そしてその直後に、2人のゲームオーバー発表……龍宮に襲撃されたとしたら、彼女がハルナさんを討ち漏らすわけがありませんし、エヴァンジェリンさんやアスナさんはこのゲームに乗っていません。そしてその他の人たちには古菲を倒すことなどできない……消去法でいって、ハルナさんが古菲たちを裏切ったとしか、考えられないんですよ」
 ハルナは無言。いったいどうやって言い訳をすればいいのか、考えているのかもしれなかった。
 が、やがて首を振る。
「そっかー、そこまでバレてたんじゃ、ちょっと弁解のしようもないわね」
「それでは、ここから立ち去ってください。私はハルナさんとスカートのめくりあいをする気はありませんから」
 ハルナは、ニっと笑った。
「私もそうしたいけど……もう刹那さんたちが、アスナと組んで、このゲームを潰そうとしてるって聞いたからには、そうもいかないわ。だって、ここで逃げても、アスナたちと合流されたらもっと優勝が難しくなっちゃうからね」
 刹那は小さく舌打ちした。
 木乃香と出会えたのに浮かれて、明日菜のことを盗み聞きされたのは痛かった。特に、合図の話をしてしまったのがまずい。
 ハルナは走り出す。馬鹿正直なほどに、まっすぐ。
 刹那はハルナと木乃香の間に自分を置くような場所に立ったまま、それを見つめてじっとしている。
 2人の距離が、2メートルにまで縮まった。
 その瞬間、ハルナが警棒のスイッチを押す。警棒が3倍に伸長し──
 刹那の持つ棒が、ブンッと低い風切り音と共に回転した。
 一撃でハルナの警棒は、はるか空高くはじきとばされる。
 そのことにハルナが気づく間も与えず、刹那は一歩踏みこんでハルナの首筋に手刀を見舞う。
 ハルナはうめき声すらあげずに、その場に崩れ落ちた。
 しかし気絶したその顔はどこか安らかで、『原作に比べれば活躍したからいいや』と言っているかのようだった。
「せっちゃ……」
 後ろから歩みよってくる木乃香を、刹那は手で制した。
「まだです、お嬢様」
「え?」
 刹那はまったく警戒を解かず……いやむしろより険しい目つきをする。
 彼女は視線をあちこち動かしていたが、やがてある一点を見つめた。
 先ほど同様、声を張り上げる。
「龍宮だろう、わかっているぞ!」
 ハルナと違い、真名はすぐに姿を現した。
 いったい、クラス一の長身をどうやって折りたたんでいたのだろうか。とても人が隠れられそうにない小さな岩の影から、真名がすっくと立ち上がる。
「ハルナさんの気配に紛れようとしたみたいだが、私はそれほど甘くはない」
 棒を両手で構え、ハルナと相対したときより格段に緊張の様子を見せる刹那。
 一方真名は、自分の居場所がバレたところで、さして気にした様子は無い。そもそも彼女の専門分野は隠れているものを見つけ出すことであって、その逆ではないからだ。
 真名は自然体の中に闘気を巡らせつつ、つぶやく。
「合流するのを待っていたぞ、洗濯板カップル」
「洗濯板って言うなー!」
 実は気にしていたらしく、刹那は額に青筋まで浮かべて叫んだ。
「じゃあ、まな板カップル」
「余計悪い!」
「『カップル』の部分は否定しないのか?」
「…………あ……」
 真名のとぼけたような一言に、刹那は赤面して言葉に詰まった。
 その瞬間を狙って、真名の手が素早く動き、西部劇の早撃ちさながらの動きでゴム弾を発射した。
「!」
 刹那は慌てて棒でゴム弾をはじく構え。しかしゴム弾ははるか手前に落ち、浅い角度で反射すると、気絶しているハルナのスカートの中に飛び込んでめくった。
 ハルナのフリルがついた黄色の下着がさらけだされ、フラッシュが焚かれる。
「な……」
「こんなオモチャで、刹那を出し抜けるなって思ってないよ」
 言って、真名は無造作にゴム弾銃を捨てる。
 次の瞬間、周囲の空気の粘度が一気に増した。
「──!」
 刹那の真後ろで、木乃香が声にならない悲鳴をあげている。動くことも、呼吸することすら困難な、真名の気迫。
 真名は本気だ。一対一ならともかく、木乃香を守りながら戦えるだろうか?
 そんな懸念が刹那の頭に浮かび、さきほどの真名の台詞を思い出した。
『合流するのを待っていたぞ』
 木乃香を倒せる距離まで近づいていたのにそれをしなかったのは、刹那に対する足かせとするつもりだったのだ。
 もはや、刹那に躊躇している余裕はなかった。
 能力を出し惜しみして勝てる相手ではない──!
 刹那は真名への警戒を怠らないまま、ぐっと前傾姿勢になる。
 その小柄な体躯から、まるで何か巨大な力が生み出されるような緊張感と高揚感。
 増大した気の余波によって、刹那のスカートがふわっとめくれあがる。しかし、彼女はスパッツを履いているので下着は見えない。千鶴のものとちがって、これは自前だ。
 次の瞬間、刹那が大きく胸を反らせると同時に、その背中に巨大な翼が出現した。
 まるで白鳥のそれのような、純白の翼。しかしその大きさは、端から端まで4メートルはある。
 神々しささえ感じられる、真っ白で大きな翼が、たった14歳の少女についているというアンバランス。だがそこに、息をのむような美しさがある。
 高らかな金管楽器による前奏が流れ、「せつなのうた」が演奏されはじめた。

 あれは誰だ 誰だ誰だ あれはせつな さくらざーき せつーな

「え? なにこの歌!?」

 神鳴流の名を受けて 木乃香のために戦う少女
 せつなソードは大野太刀 せつなマジックは陰陽術
 せつなウィングは空を飛び せつなビームは熱光線

「せつなビーム?」
 真名は怪訝な顔で刹那を見た。
「へえ……せっちゃん、熱光線も出せるんだ……」
 木乃香も、感心した調子でつぶやく。
「このちゃん、出ないから! 私ビームなんて出せないからっ! この歌どこから流れてきてるの!?」

 烏族の力 身に付けた 正義のヒロイン せつーな せつーな!

 歌は2番に
「2番はいい!」
 顔を真っ赤にした刹那の一喝で、歌は止まった。
「なんだかワケのわからない現象が起こったけど……龍宮、これでも私と戦うか?」
 烏族とのハーフという本性を現した刹那は、きっと真名を睨みつける。
 常人ならそれだけでへたりこんでしまうであろう迫力だ。
 ハルナを容赦なく気絶させたのは、この姿を見られないようにするためであった。あと、ハルナがいなければ、木乃香と出席番号で隣同士になれたはずなのに、とか。
 それはともかく、強烈なプレッシャーを真っ向から浴びせられているというのに、真名は微動だにしない。
「ふ……」
 最強の好敵手を前にした喜びか、真名は口元にかすかに笑みすら浮かべている。
 ジャカッ!
 真名の右の袖から何か小さな金属の棒らしきものが飛び出し、真名の右手の中に収まる。
 寸鉄か? と一瞬刹那は思ったが、烏族の血によって強化された視力が、それを否定した。
 金属棒ではない。何十枚も重ねられた、円形の金属板──五百円硬貨だ。
 ビシィッという音と共に、その一枚が猛スピードで、刹那の顔面めがけて飛来した。
 スパッツでガードする刹那に、ゴム弾の兆弾によるスカートめくりは通用しない。気絶させるなりなんなり、動きを止めてからスパッツを脱がせてしまう魂胆だ。
 弾丸同様の速度を持つそれを、刹那は手にした棒ではじき飛ばす。
「羅漢銭か……銃弾並みの威力だが、神鳴流に銃は効かない……」
 すると、真名は今度はさっきよりずっと嬉しそうに笑う。
「やはり、刹那相手に出し惜しみをしてもしょうがないか……後で五百円玉を拾うのが、面倒なんだがな」
 と、守銭奴らしい言葉を言う。
 一方刹那は、前傾姿勢になり、真名の手元に全神経を集中した。
 後ろに木乃香がいる以上、避けることはできない。
 連射してくるつもりだろうが、「玉」切れまで全てたたき落とす!
 ジャッカ!
 刹那の目が、驚愕に見開かれた。
 真名の左の袖から、重ねられた五百円玉が飛び出し、左手の中に収まったのだ。
「……まさか!」

  ダ ブ ル マ シ ン ガ ン
『私の両手は機関銃』!!

 ガガガガガガガガガガガガガガガガッ!!
 まるで先をつぶしたホースでぶちまけるような、『両手撃ち羅漢銭』の奔流が刹那を襲う。
 刹那は驚異的な反射神経と動体視力で、それら全てを棒で受け止めていた。
 しかし、彼女の目は恐るべき現象を目の当たりにしていた。
 五百円玉が、はじかれない。棒に半ばまで食い込んでくるのだ。
 衝撃が刹那の身体を震わせ、その小柄な体を圧していく。
(烏族の力を全開にしているというのに、一撃ごとに体力を削られていく! 羅漢銭のたかが一発一発がなんて威力!!)
 十秒と経たないうちに、刹那の棒が真っ二つに折られ……いや、『切断』された。
「くっ!」
 刹那は即座に全身に気を張り巡らせてガード。数分の一瞬の差で、刹那の全身に羅漢銭が着弾した。
「うああああああああああっ」
 10メートル以上にわたって吹っ飛ばされる刹那。ゴロゴロと転がった末、なんとか体勢を立て直す。
 わずかの間に、刹那は自分の負傷状況を確認。ギリギリで気の防御が間に合ったので、致命傷はもちろん、動けなくなるような傷は無い。
 羅漢銭の追い打ちがないところを見ると、「玉」切れだろう。反撃の好機だ。
 そう考えて刹那は顔をあげ、凍り付いた。
 真名の足下で、木乃香が倒れている。赤い小さなリボンがついた、白い下着を丸出しにして。
 刹那の頭が、真っ白になった。
「うああああああああああああああああっ!!」
 絶叫と共に、白い翼が一気に開いた。
「龍宮ああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!」
 目を血走らせた刹那の体が、ふっと浮かびあがった。
 そのまま、猛スピードで龍宮のもとへと突っ込んでいく。
 龍宮は避けようともせず、ひょいと刹那にむけて何かを放った。
 怒りに我を忘れている刹那は、それを手で払いのける。たとえ爆弾であっても、今の刹那を止めることはできないからだ。
 ガシャン!
 払いのけようとして、ガラスの割れる音が響いた。
 その途端、刹那の体がガクリとストップした。
「!? な……!? !?」
 何が起こったか、すぐにはわからなかった。
 自分の体を見ようとして、両腕がほとんど動かないことを知る。特にガラス瓶を割った右手は、指一本動かない。
 ようやく、刹那は自分がどういう状況か、理解した。
 上半身のほとんどが凍りつき、極太の氷柱で同じく凍った地面に繋ぎ止められているのだ。
「一体……!?」
 おそらく西洋魔術の一種だろうという予測はついたが、真名がこんな術を使うとは知らなかった。
 いや、このゲームがはじまった時点で、この手の道具は全てとりあげられたはず。
「……は!」
 ふと刹那は、詮索をしている場合ではないと気づいた。
 刹那が自分の体に何が起こったか理解し、混乱から回復するまで、おそらく3秒とかかっていなかっただろう。
 しかし、真名ほどの達人を相手にしている最中に、3秒とは致命的に長すぎる時間だった。
「戦いの場に、女を連れ込むからだ、刹那」
 既に上半身が氷結した刹那の背後にまわった真名は、躊躇も容赦もなく、スカートをめくり、スパッツをひき下ろした。
 木乃香とおそろいの白い下着があらわになり、フラッシュが閃く。
 真名がエヴァンジェリンたちと戦った時、投げつけられた魔法薬入りガラス瓶の一つをキャッチしていたこと。
 投げつけた瓶を避けずに叩き落すよう、先に木乃香のスカートをめくって刹那を激昂させたこと。
 それらを知ることなく、刹那は意識を失った。
 真名は辺りにちらばった五百円玉を拾いつつ、つぶやいた。
「のろしをあげて合図か……」

【残り4人】


 灯台を出た明日菜の足取りは、まさに迷走そのものだった。
 効率や行き違いを考えて、エヴァたちと合流する最短のルートを、と考えるべきところを、ふらふらと足の向くままに進んだ。
 同じ場所を何度も歩いたり、あるいは一度も入っていない場所を素通りしたり。禁止エリアに迷い込まなかったのが不思議なぐらいだった。
 明日菜は疲れていた。
 肉体的なことではない。休息は灯台で充分にとり、怪我をしているとはいえ、手当てをしてもらったので問題は無い。
 ただ……ゲーム開始当初、このゲームを潰すと意気込んでいたのに、それができなかった事実が明日菜の精神を消耗させている。
 すでに、たったの48時間でクラスメートの8割がゲームオーバーになってしまった。これではゲームを潰すと息巻くのもむなしいだけではないだろうか。
 もう別に、禁止エリアに入り込もうと、真名にいきなりスカートをめくられようと、どうでもいい。
 そんな自暴自棄な思いで歩いていると、いつの間にか東の空が白みだしてきた。気づかないうちに、一晩中歩いていたのだ。
 立ち止まって曙光をぼんやりと見ていた明日菜の目に、遠くの方で糸のように白く細くたちのぼる煙が見えた。
 のろしだ。
 次いで、今度はずっと近く──おそらく500メートルと離れていない場所から、キィキィという声をあげて、何か黒いものが飛び立った。
 その時、明日菜の中に溜まっていた憂鬱な気分を払いのける何かが生まれた。
 あんな捨て鉢な気分になるなんて、どうかしていた。このゲームは最後の1人になるまで終わらない。ならばそうなるか、自分が倒れるかするまであきらめてはいけない。そういう考えが出てきた。
 明日菜の中に生まれたものとは、『信頼』である。
 生まれたというよりは、さんざん打ちのめされ、傷つけられ、消えそうなほど小さくなっていたものが、復活をとげたのだ。
 信頼こそ全ての源だった。希望もやる気も、信頼が無ければ生まれようがない。
 そしてこのゲームは、参加者の信頼を失わせるような作りになっている。逆に言えば、参加者同士が信頼を深め合う時、このゲームは崩壊する。明日菜はまんまと主催者の意図する通りになっていたのだ。
 それは自分のすぐ近くにいた5人がいつの間にか全滅していたためであり、夜の間中一人で歩いていたからである。
 しかし今、陽光は明日菜に生命としての活力を取り戻させ、のろしとコウモリの合図は仲間がいることを教えてくれた。
 また、コウモリがあがった。
 明日菜はその方向に向かって歩きはじめ、いや、早歩きで進み、いや、走り出した。

「アスナ!」
 明日菜が姿を見せた途端、美空は弾かれたように立ち上がった。
「美空ちゃん!」
 2人はお互いに駆け寄り、手を取り合う。互いを見つめあう瞳には、涙すら浮かんでいた。
「アスナ、よく無事で……!」
「心配かけてゴメン。3人一緒に……いえ、5人一緒に、このゲームを潰しましょ!」
「なんだ、落ち込んでいるんじゃないかと思ったら、まだやる気があるようだな」
 横から、エヴァの声がかかった。
 明日菜はさっきまでの自分をからかわれたようで、かっと赤面してしまう。
「も、もちろんあるわ。最後の1人になるまであきらめないんだから!」
「フン、まあその意気だ」
 ニっと笑って、エヴァは手にしていた小瓶から、魔法薬を一滴こぼした。
 地面に灰色の小さな煙が生じ、その中からコウモリが鳴きながらとびあがる。
「一時はどうなることかと思ったが……ま、あとは刹那と木乃香が合流すれば『仕掛け』に入れる」
 コウモリを見上げながらつぶやいたエヴァの言葉に、明日菜は小さく首を傾げた。
「仕掛けって?」
「お前が出会った時からわめいてる、このゲームを潰す仕掛けさ。落ち着け、2度話すのは面倒くさい。刹那たちが来てからだ」
 すぐに説明を求めようとする明日菜を、エヴァは制する。
 少々不満げな顔をする明日菜だが、確かにその通りだと口を閉じた。
 と、美空が時計を見て言った。
「そろそろ6時になるよ」
 言ってから、慌ててバッグのもとに走り、地図と筆記用具を取り出す。
「これで、真名がゲームオーバーになってたりすると、すごく都合がいいんだがな……」
 つぶやきながら、また魔法薬を落としてコウモリを生成するエヴァ。
「そういえば、まだ他にもパルが残ってるわ。彼女は」
 明日菜がいいかけたところに、歪んだしずなの声が響き渡った。
「あー、本日は晴天なり本日は晴天なり。みなさんおはようございまーす。だいぶ人数も絞られてきました。次の放送を待たずに優勝者決定かな? それではゲームオーバーになった人を発表しますね。近衛木乃香さん、早乙女ハルナさん、桜咲刹那さん。以上でーす。次に、禁止エリアの発表です……」
「!」
 美空は、ペンを取り落とした。
「っ!」
 明日菜は、その場で棒立ちになった。
「……ちっ!」
 エヴァは、舌打ちして魔法薬のビンを傾けるのをやめた。
「う、嘘」
「どういうこと……!?」
「美空! 禁止エリアを書き漏らすな! 明日菜はアーティファクトを出せっ!」
 どなりつけるようなエヴァの声に、明日菜と美空は慌てて指示に従う。
 エヴァは考えた。
 刹那たちは、のろしをあげた後で倒されたのか、それともその前に倒されたのか、それが重要だ。
 もし、万が一、のろしをあげる前に倒されたとしたら、あののろしは真名があげたことになる。
 つまり、どうやってかして、合図のことを聞き出した可能性が極めて高い。
 だとしたら──エヴァは最強の敵に、自分たちの居場所を教え続けていたことになる。
 背筋にざわりという悪寒が走った。
 百年以上に渡って、ハンターたちの追撃を振り切ってきたエヴァ特有の勘。
 即座に、エヴァはポケットから小瓶をとりだし、自分の周囲にばら撒いた。彼女を囲むように氷の柱による壁が出来、そこにゴム弾が跳ね返る。
「……!」
「まさかっ!」
「くっ、さすがに行動が早い……」
 ゴム弾の来た方向を目で追えば、なんという大胆さか、真名は自らの姿をさらしてこちらに肉迫してくる。
 走りながら、真名は撃った。今度は明日菜が標的だ。
「! この……っ」
 エヴァに言われ、すでにハマノツルギをハリセン形態で出しておいた彼女は、おどろくべきことにそのハリセンでゴム弾を撃ち返した。修学旅行後、刹那を相手に特訓していた成果かもしれない。
 しかも狙ったわけではないが、いわゆるピッチャー返しの形になり、明日菜のはじき返したゴム弾は真名の足元に着弾し、なんとイレギュラーバウンドして高い角度で真名のスカートの中に突っ込んだ。
「おお!?」
「やった!」
 思わず歓声をあげる明日菜たち。しかしその目にうつったのは。
「スパッツだと!?」
「反則でしょそれー!」
 あんな防御があれば、確かに身を隠す必要も無い。
 愕然とする明日菜とエヴァに対し、真名はふっと笑ってゴム弾を発射。驚いて棒立ちになっていた明日菜のスカートを狙う。
明日菜はすんでのところでかわした。
「走れ!」
 エヴァに言われるまでもなく、明日菜と美空はかけだした。
 2人とも運動が得意とあって、相当な速度だ。エヴァも魔法薬の力を借りて、かなりの速さで走る。
 ゴム弾の射線を塞ぐように、わざと木々が密集しているところを、3人は飛ぶように走った。
「ねえ、私がまた囮になる?」
 走りながら、明日菜が提案する。
「これだけ距離が縮まってるとダメだ」
 そう言う間にも、エヴァには刻々と、少しずつ距離を縮めてくる真名の気配が、背中をじりじりと焦がすようにすら感じられる。
 とその時、美空が悲鳴と共に転んだ。
「あううっ」
「美空ちゃんっ!」
「バカ、どうしてこんな時に……」
 いいかけて、エヴァは気づいた。美空が転んだあたりに、細い糸が張ってある。
 注意して辺りを見てみれば、ちょうどすねのあたりの高さに張られた糸を何本も見つけることができた。
「用意周到な……!」
 歯噛みするエヴァ。おそらく、真名は前回逃げられた反省を生かして、こんな罠をそこら中に仕掛けているのだろう。
 そうと知っては、ますますぐずぐずしている暇はなかった。
 エヴァはまたしても小瓶を取り出し、それを地面にたたきつける。
 ガラスが割れると同時に、何十匹という数のコウモリが出現し、エヴァたちの体にまとわりつく。
「え、きゃあっ、なにこれ!?」
「飛ぶぞ!」
 エヴァが言った途端、体がふわりと浮かんだ。
 ついさっきまで明日菜がいた場所を、ゴム弾が走る。間一髪だった。
「うわわわわぁーっ!」
「騒ぐな!」
 明日菜は目を丸くした。空を飛んでいる!
 普通に考えて、コウモリが何十匹いようと明日菜の体重を支えて飛ぶことなどできないだろうから、これはこういうスタイルの空を飛ぶ魔法なのだろう。はじめてネギがエヴァと戦った時、エヴァの身につけていた空を飛ぶためのマントはコウモリで出来ていたという話を、明日菜は思い出した。
 さほどスピードはないが、それでも走っている時の倍のスピードは出ている。
 これなら真名を振り切ることも可能だし、トラップにひっかかることもない。どうしてもっと早く使わなかったのか……。
 そう明日菜が思った途端、急激に高度が下がり、着地してしまった。
「ど、どうしてもっと飛ばないの!?」
 非難するような明日菜の言葉に、エヴァはさっきと同じ魔法薬の瓶を取り出しながら言い返した。
「忘れたのか、台所で作ったような純度の低いやつだぞ。これが限界なんだよ!」
 瓶を地面に叩きつける。大量のコウモリが出現し、再び短い『逃飛行』。
 真名をまくためだろうか、今度はちょっと右よりに飛び立つ。
 そうやって進路を変更しつつ飛翔を何度か繰り返し、そうとうな距離を進んだが、エヴァの表情は苦々しいままだ。
「もしかして、まだ追ってきてる?」
「ああ、しかもそんなに引き離せてないぞ。その上、もうこの術は品切れだ。走る準備しておけ!」
 言うがはやいが、またも高度が落ちてくる。すでに数回の着地を経験していた明日菜は、指示通りすぐに走りだすことができた。
 しかし、このまま逃げ続けていて、勝ち目があるのだろうか?
 ふとそんな疑念が頭をよぎり、横を走るエヴァの顔をちらと見た。
 エヴァは、焦ってはいるようだが、絶望やあきらめの顔つきではない。小さな声でつぶやいている。
「あの場所へ……あの場所へ行きさえすれば……」
 ということは、何かエヴァには策があるのだろう。そう明日菜は判断した。
 しかし、スパッツなどというレギュレーション違反としか思えないような装備をしている真名に、いったいどうやって対抗するのかは、まったく想像できなかった。
 とにかく今は、エヴァを信じて走るしかない。
 真名をまくためか、エヴァは途中で60度ほど進路を変更した。慌ててついていく明日菜。
 そのまま1分ほど走ったとき、明日菜の背中に覚えのある衝撃が走る。
 前につんのめって、そのままごろごろと数メートル転がった。
 またかとデジャビュを感じるが、今度は崖ではないのですぐに立ち上がれる。見れば、エヴァも横に転がっていて、彼女も背中にゴム弾を受けて転がされたらしい。
「大丈夫?」
「ん……む……」
 エヴァを助け起こすと、びっくりするほど近くに自分たち以外の足音。
 目をあげれば、ほんの数メートル先に真名が立っていた。
 エヴァは急いで、自分のスカートを股ではさんだ。確かにそうすれば、簡単にスカートをめくられることはない。明日菜もそれにならって、スカートをはさむ。
 真名は、こちらに向けていた銃をおろさないまま、言う。
「それは、やめた方がいい。気絶させてからスカートをめくることになる。……痛いぞ」
 氷のようにつめたい言葉と視線に、明日菜は何も言い返すことはできなかった。
 逃げることはできない。反撃の手段もない。もうここで終わりか……。
「ははははははははははははははははははは!」
 突然、隣のエヴァが哄笑した。
 なにごとかと明日菜は思ったが、真名も同じくあっけにとられている。
 エヴァは邪悪にすら見える笑顔で言った。
「かかったな! 龍宮真名ッ! これが我が『逃走経路』だ……きさまはこのEVAとの知恵比べに負けたのだッ! 私が吹っ飛ばされた、この場所に見おぼえはないか?」
 真名の視線は動かない。
 これは、真名を動揺させてその隙に何かをしようという、エヴァの作戦かもしれないからだ。豊富な実戦経験のためにそれをわかっている真名は、決してエヴァから目を離さなかった。
 一方、修羅場などほんのいくつかしかくぐっていない明日菜は、辺りを見まわしてしまう。
 この場所……確かに見覚えがある……あれ、あんなところに糸が……そうだ、美空ちゃんが転んだ場所! ……あれ、そういえば美空ちゃんて、転んだあと……
 明日菜がそこまで考えたとき、真名は後ろからスカートをめくられ、スパッツを引きずりおろされた。
 黒い、脇がヒモになった下着がさらされ、フラッシュの閃光と共に、真名は崩れ落ちた。
「春日美空に働いてもらうための、逃走経路だ」
 倒れる真名に向かってエヴァはそうつぶやいた。

【残り3人】


 校舎内の一室にいるしずなは、首輪の盗聴器が拾っている3人の話し声に、意識を集中していた。
「え、それじゃあ、あれってれっきとした作戦だったんだ」
「ああ、お前と再会するまでずっと暇だったんでな。真名と遭遇した時、なんとか倒す方法を考えていて……それで、美空の存在感の無さを利用する手を思いついたんだ。真名の魔眼は意識的にしか発動しない上に、幽霊をはじめとする魔物やらなにやらを見つけるためのものだ。一般人にも関わらず、『絶』を極めんばかりに影の薄い美空には通用しない」
「エヴァちゃん、さりげにヒドイよ……」
「それで、私が真名の注意を引き付けている間に、美空がスカートをめくる……状況が許せば、そういう作戦で行こうという話をしてあったのだ。まあ、真名がスパッツを履いていたのは、考慮していなかったが……うまくいったからよしとしよう」
「なるほどね……」
「さて、生き残りが我々3人になってしまった以上、本題に入るとしよう」
「本題って?」
「お前な……このゲームを潰すんだろうが!」
「あ、そのことか」
「まったく……さて、まずはじめに聞くが、お前たち、この島、どこだかわかるか?」
「そんなの、わかるわけないじゃない」
「張り合いのない……少しは考えたのか?」
「考えるって言われても……ねえ」
「うん、なにかヒントでもあるの?」
「ある。第一に、相川さよだ」
「ああ、あの幽霊ちゃんね。彼女がどうかしたの?」
「お前ときたら、だからバカレンジャーのリーダーに祭り上げられるんだ」
「う、うるさいわね! それで?」
「相川さよは自爆霊だ。つまり奴は学園の外には出られない」
「へえ」
「そーなの?」
「……そうか、そういえばそのことは知らなかったか。第二のヒントは、他ならぬ私自身。美空はともかく、アスナは知っているだろう、私はサウザンドマスターにかけられたバカげた呪いのせいで、さよと同様、学園の外には出られん」
「……あ!」
「ようやく気づいたか……」
「で、でも、修学旅行の時には……」
「確かに、あの時は反則スレスレの方法で呪いを騙し、学園の外に出ることができた。しかし、たった半日出るのに、近衛のジジイが過労死しかけたのを忘れたか? すでにこのゲームは開始から50時間以上経っている。ルール上、2週間続く可能性だってあるんだ、あの方法は使えない」
「っていうことは…………………どういうこと?」
「お前……っ、最後までボケ倒す気か! つまり! ここは麻帆良学園の中だ!」
「……は?」
「……どういうこと? いくら麻帆良学園が広いからって、こんな大っきな島が敷地内にあるわけないじゃない」
「美空はともかく、アスナは知ってるだろうに……私の『別荘』を思い出してみろ」
「え……まさか!」
「あれと同じ仕組みのものを使っているわけだ。まず間違いない。そうすれば全島の監視も管理も容易だし、我々を見とがめられずに移動させることも容易い」
「な、なるほど」
「? ? ?」
「美空、今はわかる必要は無い。黙って聞いててくれ。で、だ。根本的な話をしよう。このゲームは、あらゆるルールが徹頭徹尾『最後の一人になるまでスカートのめくりあいをさせる』という目的のために作られている。逆に言えば、このゲームを潰すということは、『最後の一人にならないうちに、ゲームを終了させる』ということに他ならない。ついてきてるか、アスナ」
「な、なんとか」
「生き残りがたった3人になった今、その最も簡単な方法は、この島から脱出してしまうことだ。しかし、ここはさっき言った通り、現実の島ではない。脱出の方法はたった一つ。この島のどこかにある出入り口に行くことだ。そして出入り口は、十中八九スタート地点の校舎内にある」
「そ、そこって……禁止エリアのど真ん中じゃない!」
「そうだ」
「そうだって……」
「では、私の結論を言おうか」
「け、結論?」
「お別れだ。私が優勝者になる」
「え……!」
「な……っ!
「私も見ず知らずの男どもに下着を見せるのは嫌なんでな」
「だって、だってこれまでずっと協力してきたのに……!」
「ああ、なにしろお前たち2人がいなければ、真名を倒すことはできなかっただろうしな。しかし今となっては用済みだ」
「エ、エヴァちゃん……あなた……」
「どうしたアスナ、なぜそんな意外そうな顔をしている。お前は知っていたはずだろう。私は……悪い魔法使いなんだぞ」
 しずなはそこまで聞いて、首輪から発する信号をモニターしている画面に目をやった。
 さっきまで点等していた明日菜を現す光点が消え、次いで美空のそれも消えた。首輪の麻酔針が作動した証拠である。
 しずなはマイクをとり、そのスイッチを入れる。
「あー、あー、エヴァンジェリンさん、たった今、あなたの優勝が確認されました。おめでとうございまーす。3分後に禁止エリアを全て解除しますので、スタート地点の校舎に戻ってきてください」

【優勝者 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル】


 エヴァがのんびりと歩いて校舎に戻ると、昇降口にしずなが立って待っていた。
 にこにこと相変わらずの笑顔で、しずなはエヴァを迎える。
「おめでとう、エヴァンジェリンさん。首輪は窮屈でしょ? 外してあげますね」
 なにやら鍵らしき金属片を片手に光らせ、しずなはエヴァに歩みよる。
 するとエヴァは、片手を前に突き出して左右に振る。
「いや、別に外してくれなくても構わん」
「え?」
 立ち止まったしずなに対し、エヴァはくっと口の片端を吊り上げて笑った。
「自分で外せるんでね」
 燐光を灯したエヴァの人差し指が、すっと自らの首輪に触れた。次いで、何か字や絵を描くように、首輪の表面を撫で回す。
 カチッ。
 軽い音を立てて、エヴァの言葉通り、首輪は外れで地面に落ちた。
「……!」
 息を飲んでたちすくむしずな。その後ろに、すっと影が忍び寄る。
 スパ────ン!!
 手に持ったハリセン形態のハマノツルギで、明日菜は思いっきりしずなをはたいた。
 ハリセンとはいえ、後頭部に完全な不意打ちをくらい、しずなはあっさりと倒れ伏す。
「高等部の3人はどうした?」
 何事もなかったかのように、平然と聞くエヴァ。明日菜はぐっと親指を上に立てる。
「速攻でやっつけたよ。あいつらなんて、ドッジ用のボールさえ持たせなけりゃ、怖くもなんともないんだから」
 得意げにそう言う明日菜の首に、首輪はついていない。
「あ、そうそう、美空ちゃんが出入り口みつけたって。やっぱりエヴァちゃんの思ってた通り、ここは魔法の箱庭の中みたい。時計見たら、外は一日しか経ってなかったって」
 明日菜の報告を聞いて、エヴァは腕を組み得意げな様子だ。
「それにしても……」
 と、明日菜はエヴァの足元に落ちていた首輪を拾って言った。
「よくこれの外し方、わかったね」
「この首輪な、おそらく安易な解体や衝撃による誤作動を防ぐために、機械的な部分がほとんど無いんだ。大体九割方、術によって駆動している。私は魔力の大半を封じられているが、知識までは封じられていないんでな。ま、少々解析に手間取ったが……フン、こんなもので真祖に首輪をつけた気になるとは、舐められたものだ」
「へえ〜」
 明日菜は心底感心した。
 それにますます気をよくしたらしく、エヴァはほとんど膨らみの確認できない胸をぐっと反らし、さらに続ける。
「佐々木まき絵を倒した時、首輪の構造についてちょっと調べておいたんだ。魔術的な部分はともかく、機械的な部分は単純な仕掛けで助かったぞ」
「なるほどねえ」
 手にもった首輪をいじくりまわす明日菜。
 エヴァのゲームを潰す『仕掛け』とは、実のところごく単純だった。
 首輪を外してから、麻酔針を作動させる。それでゲームオーバー扱いになった明日菜と美空が、エヴァより先行して校舎を襲撃する。油断しているしずなたちを倒すのは、そう難しくないだろうと予測し、事実その通りだった。
 ただ工夫したこととして、盗聴機能があることがわかっていたので、計画は全て筆談で説明し、口では演技をすることでしずなたちを騙したことである。
 と、明日菜ははっと弾かれたようにその首輪を捨てる。
「そうだ! ゲームオーバーで寝てるみんな! どうしよう、私たち3人で運べるかな?」
 心配そうな明日菜に、エヴァはすたすたと昇降口に向かって歩きながら答える。
「どこかに、式神どもを制御する仕掛けがあるはずだ。全島でおそらく数百体……そいつらを使って外まで運ばせよう。あとは、まあガス中毒とかなんとか、理由をつけて病院に運び込むんだな」


 翌日の午後。
 明日菜はエヴァの家の前に立ち、ドアをノックした。
 まるで待ちかまえていたかのように、すぐさまメイド姿の茶々丸が開けてくれる。
「こんにちは。アスナさん」
 茶々丸はペコリとお辞儀をする。
「あ……こんにちは、茶々丸さん。動けるの?」
 島から脱出してクラスメートたちを外に連れ出したあと、茶々丸の体がそうとうひどく壊れていたと、明日菜は聞いていた。
 茶々丸は、はいとうなずき、明日菜を中に招き入れながら、説明した。
「工学部に私の予備パーツがありましたので、それと交換しました。『馴らし』と微調整が終わっていないので、激しい機動や精密な動作は無理ですが」
「そう、良かった」
 茶々丸に微笑みかけてから前を向くと、ソファに座ったエヴァが声をかけてくる。
「どうした? わざわざ訪ねてくるなんて。私は今機嫌がいいから、アポ無しでも相手をしてやるが」
 明日菜は目を丸くした。こんな台詞を言うとは、本当にエヴァは機嫌がいいらしい。
「じゃあちょっといくつか質問したいことがあるんだけど……」
「ああ、構わんよ」
 細い足を組んで、エヴァは鷹揚に応える。
 明日菜はエヴァとテーブルを挟んで対面に座った。
 テーブルには、妖しげな色をした薬の瓶だの、寒気がするほど美しい宝石だの、異様に細かい細工の施された見たこともない動物の脚だの、数枚重ねられたCDだかDVDだかのディスクだの、雑多なものが並んでいる。
 明日菜はそれらが気になりつつも、茶々丸の持ってきたお茶を受け取って、尋ねはじめた。
「さっき私、クラスメートのみんなをお見舞いに行ったんだけど……誰もスカートめくり大会のこと、覚えてないのよね。ゲームオーバーになった子はもちろん、ネギや美空ちゃんまで。あれ、やっぱりエヴァちゃんの仕業?」
 エヴァはふっと笑い、そうだ、と答えた。
「ネギのぼーやがマヌケなせいでお前もすっかり忘れてるようだが……本来魔法や呪術のたぐいは、一般人に知られてはいけないんだ。あのアホゲームは魔法の存在を大っぴらにしてたから、みんな記憶を消させてもらった。もとから魔法について知ってる奴も何人かいるが、面倒くさいんで、ボーヤも含めて全員まとめて、な。ちなみに明日菜、お前にもやろうとしたんだぞ。魔法無効化体質のせいで、消せなかったがな」
 そういえば、と明日菜は思い出す。ネギは会った当初、魔法について知った自分の記憶を、しつこく消そうとして……。
 明日菜は首を振った。あまり思い出したくないことを思い出したからだ。くまパンとか。パイパンとか。
 とにかく、魔法云々をのぞいても、あんなバカみたいなゲームの記憶を消すことは、明日菜も賛成だった。
 エヴァは話を続ける。
「主催者もそのつもりだったらしくてな。それ専用の薬品と儀式道具一式が揃ってたから、割と簡単だったぞ」
 主催者の一言を聞いて、明日菜ははっとなった。
「そういえば、一体誰なの、この企画を考えたのは」
 明日菜の問いに、エヴァはこともなげに答える。
「近衛のじじいだ」
「が、学園長がぁ!?」
 思わず立ち上がって叫ぶ明日菜。
「だいたい予想はついてたがな。魔法に精通していて、ここまで大規模なイベントを準備し、しかも怪しまれない立場にいるのは、あのスケベじじいだけだろう」
 明日菜は二の句が告げなかった。
 自分の孫娘までいたというのに……!
「締めあげたらあっさり白状したよ。ほら、例の京都であった事件……あれの対策として学園全体の防御を強化したら、予算が足りなくなったんだそうだ。それで有料で会員を募集して……いいから座れ」
 ソファを指さしてうながすエヴァだが、憤懣やるかたない明日菜はなおも立ったまま口を尖らせている。
「よくエヴァちゃんはそんなに平然としていられるわねっ!」
 平然どころか、機嫌がいいとまで言ったエヴァの心理が、明日菜には理解できなかった。
 エヴァはふふんと笑って背もたれに体重を預ける。
「私はもう、個人的にオトシマエをつけたんでな……じじい秘蔵のコレクションを、いくつか分捕ってやった」
 そう言うと、エヴァは満足げな表情で、テーブルの怪しい品々に目を走らせる。
「な……エヴァちゃんばっかりそんな……!」
 今度は怒りの矛先がエヴァに向かってしまう明日菜。
 エヴァは面倒くさそうにため息をつくと、怪しい小瓶の一つを明日菜の前に置く。
「うるさい奴だ……それじゃあ、この薬をやるよ」
「……なによ、これ」
 なおも眉をつりあげている明日菜に、エヴァは大儀そうな表情で解説する。
「『邯鄲の寝具』という魔法薬でな。一滴飲むと、その日の夜、本人が一番見たいと思っている夢を見られる。といっても、ただの夢じゃない。完全な現実感を持ち、目覚めた後も実体験と同様に記憶に留まる。夢の中だから、どんなに非現実的なことも体験可能だ。差し入れの飲み物か菓子にでも混ぜてみんなに配ってやれ。結構、貴重な品なんだぞ」
「……」
 明日菜はじっとその、魔法薬の入った小瓶を見つめていたが、やがて大きく息をはいた
 瓶を取ってポケットにしまい、ソファに座る。
 まだちょっとトゲのある口調で、言った。
「じゃあ、質問を続けるけど……しずな先生とかもゲームの進行に参加してたみたいだけど、他にも関わってた人、いるの?」
「いや、しずなと、高等部の三人だけだ。あんまり大勢を使えば、その分バレる可能性があるからな。ちなみに、その4人にもオシオキをしておいたぞ」
 目に妖しい光を宿らせてエヴァは言い、ちらっとテーブル上の光ディスクに目をやった。明日菜は詳しくないのでよくわからなかったが、アンティーク調一色のこの部屋にそぐわないその光ディスクは、DVD−Rだ。
 DVD−Rには小さなラベルが張ってあり、手書きでタイトルが書き込まれている。一番上のものには「眼鏡爆乳女教師絶頂快楽地獄」。二枚目には「女子高生三人娘強制レズ拷問」。しかし明日菜の位置からはよく読めなかった。
 ともあれ、明日菜はほっとした。万が一、いや億が一にでも、タカミチが参加していたらどうしようかと、ビクビクしていたのだ。
 明日菜は次の質問にうつる。
「私たち以外、ゲームオーバーになっちゃった子はみんな、その、パンツの写真撮られちゃったけど……あれってどうなったかわかる?」
 明日菜の問いに、エヴァは柳眉を寄せて、困った顔をした。
「あれは……私じゃ説明できん。茶々丸、聞いてただろ、答えてやれ」
 すぐにどこかに控えていた茶々丸がやってきて、一礼して話しはじめた。
「残念ながら、私がシステムを掌握した時には、すでに撮られた写真は会員に配信されていました」
「え!?」
「しかしすぐにウイルスを作成し、会員全員にそれを配布することで対処しました。ウイルスは、麻帆良大ソフトウェア工学部の封印用ストレージから、危険度レベル5に分類されていたものを数種取り出して組み合わせ、さらにマスターが呪術的な処置を施して作ったものです。ウイルスは配信完了と同時に起動、あらゆる入力を拒否すると共に、まずモニタを猛烈に明滅させます。点滅するモニタにはマスターの作成した呪紋が表示され、光過敏性てんかんとサブリミナル効果との相乗作用により、モニタを見ている人の記憶を数時間分抹消させます」
「クラスの奴らに施したものと比べて、だいぶ乱暴な記憶消去術だ。何人か死んだかもしれん」
 エヴァがこともなげな調子で、口を挟んだ。
「それが十分間続いた後、接続されている全ての記憶装置を初期化させた上で、ハードディスクを物理的に損壊させます。モニタ明滅中に強制的に電源が落とされた場合は、BIOSの再起動と同時に、消去とクラッシュを行います。以上です」
 一方明日菜はというと、怒濤のような専門用語にぽかんと口を開けている。
「えーと、それはつまり……何も心配要らないってこと?」
「はい」
「ま、そういうことらしい。私も、パソコン関係についてはお前同様、よくわからんがな。茶々丸、さがっていいぞ」
 茶々丸はペコリと頭をさげ、元の位置へと歩み去った。
「さて、まだ何か聞きたいことはあるか?」
 少しの間、天井を見つめて考えていた明日菜だが、やがて首を振った。
「ううん。知りたいことは全部教えてもらったわ。それじゃ、帰るわね」
 席をたち、出口へ向かう明日菜。
 と、ドアの前で立ち止まると、くるっと回れ右してエヴァの方に向き直った。
「ん? なんだ、まだ用があるのか?」
 怪訝な顔をするエヴァに、明日菜は言った。
「エヴァちゃん、あのゲームで助けてくれて、ありがとね。本当に、感謝してるんだ、わたし」
 ちょっと恥ずかしそうに言うと、深々と頭を下げた。
 ぽかんと大きく口を開けて硬直しているエヴァを残して、明日菜は出ていった。
 ドアが閉まってからしばらくして、ようやくエヴァは動けるようになり、つぶやく。
「ど、どうしたっていうんだ……?」

 エヴァは知らなかったが、実はこのゲームで、誰よりもスカートをめくられたくないと思っていたのは、明日菜なのだ。
 だからこそ、彼女は、エヴァに心の底から感謝したのである。
 どういうことかと言うと、明日菜はゲームのフィールドとなった島に連れてこられた時……
 パンツを履いていなかったのだ。


   了

       

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